靖献塾

講師 渡邊五郎三郎先生の紹介  靖 献 塾 TOP へ

 

 

☆大正8              福岡県久留米市に生まれる ☆昭和26              参議院議員秘書 ☆昭和41              国務大臣行政管理庁長官 秘書官 ☆昭和51              福島県知事政務秘書

     政策提言集団「新樹会」同人     平成2        福島新樹会代表幹事 現住所 福島市花園町2−8

*****著書****

  安岡正篤氏の高弟が説く吾づくり、人づくり。
歴史と人物に学ぶ活学入門書。

励志語録(大丈夫(孟子)
猶興の士
外甥を戒む(諸葛孔明)
志の有無(司馬遼太郎) ほか)
修己文献(司馬光と劉安世;細井平洲;朝河貫一;耶律楚材 ほか)
「松平知事・南半球をゆく」 「松平知事・中国の旅」
「組織の中の人間学・為政三部書私解」   「トップと補佐役の人間学」
「わが補佐道・晏子春秋私解」   「松平知事・南米への旅」
「秘書に求められる人間像」   「松平知事再び中国へゆく」
「医師に求める人間像」   「いま政治家に求めるもの」
「私の地方政治家論」   「古教照心」
「励志語録」   「上に立つ者の人間学」

***その思想 「人づくり」への覚醒***

☆大正8              福岡県久留米市に生まれる 祖母の代までは有馬藩士 五郎三郎という珍しい名前はサムライの子だからということ。中学を卒業するとすぐ満鉄に入り満鉄の給費で学校に行きく。その後軍隊に入って朝鮮の部隊や豊橋の予備仕官学校を経て、士官学校の教官として着任。そして終戦となる。

祖国再建の為、「日本健青会」を作り、シベリア抑留60万人の引揚、戦死者の慰霊、免罪が多かった戦犯の問題を中心に運動をする。


安岡正篤(やすおかまさひろ)の秘書役であった林繁之先生と知り合い、その縁で安岡先生の教えを受ける。 安岡先生は「王陽明の研究」でその名を世に轟かせ、戦後は歴代総理に宰相学を指南 戦中、戦後終始一貫自らの思想を貫いた先生の生き方に惹かれる。 人間学が出来て初めて天下国家を論じなければいけない。リーダーは多くの人を束ねなければならないから、公平無私 率先垂範 健康を維持すること 自己を律し、事故を確立すること 自分を確立するための学問をしているかが大切。 人間を作るための勉強が一番大切 順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、坦々としていなければならない。

人間学の目標は「修身、斎家、治国、平天下」であり「自ら靖んじ、自ら献ず」まず自分を確立したら、今度はどうやって世の中の役にたつかということを考え行動すること。 行動にあっては「彼を知り、己を知れば百戦して危うからず」(孫子)で国内外の情勢や社会的な問題の正しい見方をしっかり勉強することが肝要である。

「人物と歴史に学ぶことほど生きた学問はない」古今東西の歴史上の人物の言行や古典を読み、それを自分なりにまとめたりという形で勉強させてもらっている。 

人それぞれ能力や立場によって出来ること出来ないことがあるでしょうけれど、「志を持って一隅を照らせばやがて国全体を照らすことになる。大言壮語せず、自分の身の回りを照らすことが大事である」 

 



***補佐役としての使命***


昭和26              参議院議員秘書 昭和41              国務大臣行政管理庁長官 秘書官 昭和51              福島県知事政務秘書合わせて三十数年間、政治の舞台裏を見てきた。 松平勇雄氏を補佐してきて、トップの使命、役割に対して正しい情報を提供する。トップが間違っているときには真心と勇気を持って諫言する。それこそが補佐役の本当の仕事

   


***リーダーはどうあるべきか***


政治家の秘書として長年各界のリーダーを見てきて、この人は立派だという人は おごらない人 おごった人はまず駄目である。おごり高ぶる気持ちがあると人間はもう進歩が止まる


     政策提言集団「新樹会」        福島新樹会代表幹事 現住所 福島市花園町2−8