渡邉五郎三郎
「南洲翁遺訓の人間学」

南洲の無私の生き方、天を相手にした生き方は、「品性」という一言に集約されるように思う。私はそこにひかれる。

西郷隆盛は、日本の危機に地霊の如く姿を現し、心ある日本人に正しい方向を示した。戦後60年、内外に渡って日本のあり方が求められている今日、昭和天皇が示された、「万世の為に太平を開く」使命を遂行するためにも、南洲精神の再認がもとめられていると思い、今回からこの勉強に入りました。 皆さん頑張って学びましょう。
 

 

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渡邉五郎三郎
古典のなかの人間学


 「古典のなかの人間学」は、『明日への選択』平成13年7月号から15年6月号まで、全24回にわたって連載され、大変な好評を博しました。それを一冊にまとめ上梓したのが本書です。晏子、孟子、王陽明から、佐藤一斎、西郷南洲、吉田松陰にいたるまで、本書に収録された24人の先哲の言葉は、知育・体育に偏重し徳育はまったく受けていないわれわれ戦後世代の心に、慈雨の如く沁み入ることでしょう。

また本書では、戦後教育の中で人間として本来学ぶべきことをまったく学んでいないわれわれが、人間を磨くためには如何にすればいいのかということも分かりやすく指南されています。一方、老荘世代にとっても、安岡正篤氏から絶賛された碩学・渡邉五郎三郎氏の豊富な体験に基づく人物評・人生指南に、あるいは膝を打ち、あるいは刮目すること請け合いです。この秋、じっくりとお読みいただきたい一冊です。

以下は、渡邉先生がなぜ古典や歴史上の人物の言行録に参究されたのか、また志をもって人間を磨くには何が必要なのかをお聞きしたインタビューの一部です(巻末に収録)。


人物と歴史に学ぶことほど生きた学問はない


 渡邉 私は生まれは九州の久留米で、祖父の代までは有馬藩士でした。五郎三郎という珍しい名前も侍の子だからということで、小さい時から非常に厳しくしつけられたんです。

 特に福岡には西郷南洲の思想を受け継いだといわれる頭山満翁の玄洋社や黒龍会がありまして、私の父は玄洋社の方々と親交が深かったものですから、南洲の次のような有名な詩も繰り返し聞かされました。

 幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
   (人の志というものは、幾度も幾度も辛い目に遭ってはじめて堅く定まるものである)

 丈夫は玉砕して甎全を愧づ
   (そこで、真の男子たる者は、先ず幾多の辛酸を嘗めて志を堅くし、その志を貫くためには玉となって砕けることを本懐とし、志を枉げて瓦となってまで無事に生き長らえることを恥とする)

 一家の遺事人知るや否や
   (それに就いて、自分が家法として子孫に遺しておきたいと思うことが一つあるが、それが何であるかを知っている人があるかを知らぬ)

 児孫の為に美田を買わず
   (子孫のために良い田を買わない事がそれである)

 もちろん、何のことやら全然分からなかったけれど、とにかく財産は残してくれないんだということだけは分かった(笑い)。それが少し分かるようになったのは、中学時代に出版された「頭山満翁講評の大西郷遺訓」を読んでからで、以来、事ある毎に南洲の遺訓を繙き、心の糧としてきました。

 中学を卒業するとすぐ満鉄に入り、満鉄の給費で学校に行きましたが、その後、軍隊に入って朝鮮の部隊や豊橋の予備士官学校を経て、いよいよ南方へ出ようかという時に予備士官学校の教官として着任。結局、そのまま終戦を迎えました。

 ところが、戦争が終わるや否や、陸軍の高級将校が将校集会所の絨毯を持っていったり、名の通った指導者や学者らが掌を返すように変節したりとみっともない姿を晒し始めた。敗戦もショックでしたが、私はそちらの方がもっとショックだった。学識とか地位とはいったいなんなのか、本当の人間性はどこにあるのだ、皇軍と言いながらこれまで本当の教育をしてこなかったんじゃないか、国づくりは人づくりが基本だということを痛切に感じたのです。

 そんな昭和二十一年、予備士官学校時代の私の教え子だった末次一郎君(故人、後の新樹会代表幹事)と街でばったり出会いまして、日本はこのままではいかん、祖国の再建は自分たちの手でやろうということで仲間を集めて、昭和二十四年に新樹会の前身の「日本健青会」というのを作った。それでシベリアに抑留されていた同胞六十万人の引揚、戦死者の慰霊、冤罪が多かった戦犯の問題を中心に運動を推し進めているさなか、安岡正篤先生の秘書役であった林繁之先生と知り会いまして、そのご縁で安岡先生の教えを受けるようになったんです。

 安岡先生は大正時代、東京帝大在学中に出版したベストセラー『王陽明の研究』でその名を世に轟かせ、戦後は歴代総理に宰相学を指南されたことでも知られていますが、私は戦前戦中戦後と終始一貫して自らの思想を貫かれた先生の生き方に惹かれました。

 先生は戦前の一時期、あの北一輝や大川周明と行動を共にされていました。が、カネを巡る問題で北と大川が対立するようになったのを契機に彼らと訣別します。武士の情かその理由について先生は明確に述べてはおられないけれども、おそらくそこで考えられたであろうことは、要するに、両人の思想や知識を評価はするとしても、肝心の人間が出来ていない。これではいかに天下国家を論じても空論であり、この人たちが実際、権力を取ったら果たして国民は幸せになるだろうか、ということだった。

 これには非常にぴたっときたんです。私の父親のところには、しょっちゅう壮士みたいな人が出入りして、飲んで暴れて粗野に振る舞い、母親は随分泣かされていた。私は小さい時からそれを見ていて、人の迷惑も考えずに飲んだり食ったりして何が国士・壮士だというような気持ちがありましたから。

 また、「人物と歴史に学ぶことほど生きた学問はない」ということを教えられまして、以来、私は古今東西を問わず歴史上の人物の言行録や古典を読み、またそれを自分なりにまとめたりという形で勉強させてもらっている、ということです。(続きは、ブックレットをお読み下さい)

〈日本政策研究センター刊/定価500円/A5判64頁〉